「頭では分かっているのにやめられない」――強迫性障害と一緒に生きてきた私の話

私が「強迫性障害」と言われるようになったのは、大人になってから。でも、思い返せば小学生のころからその片鱗はありました。

おそらく最初のきっかけは、小4の体育の時間。リレーの順番待ちをしていた時、恥ずかしながらみんなの前でオナラをしてしまったんです。😅

その瞬間、周りが「誰?誰?」となっている中、真後ろにいた男の子と目があってしまって。言いふらされたわけでもないのに、「次もまたしてしまったらどうしよう」「笑われたらどうしよう」って、それ以来ずっと人の目を気にするようになってしまいました。

朝礼、体育、読書、テストの時間――

とにかく学校が苦痛でした。静かな場面になるとおなかが痛くなって、「出たらどうしよう」が頭から離れない。その不安は、年々大きくなっていくばかり。

(のちにこの症状自体は過敏性腸症候群だと知る)

私は家族関係も悪く親にも相談できない状況で。ただただ耐えるしかなかった...

中学生の頃には「不安を打ち消すための行動」が増えていきました。

例えば――

・カバンが床に触れて汚れてないか何度も確認しないと安心できなくてなかなか帰れない。
・お風呂やトイレから出るときに、出方に納得がいかないと何度も出入りを繰り返す。
・これからやることの最悪の想定を考えて(例:テスト中にオナラが出る、帰り道に事故に遭うなど)、その想像だけで唾が飲み込めなくなる。

(嫌なことを考えた時に出た唾を飲み込むと、その出来事が実際に起こってしまう気がして飲み込めず、教室でタオルに吐き出してました😅)今となっては誰かに見られていたかもと思います。

そして――

高校生になる頃には、数字にもとらわれるように。

「これは4回やらなきゃ」「これは3の倍数じゃないと嫌なことが起きる」

スイッチを押す、シャンプーを出す、手を洗う、何でも“決まった回数”じゃないと気が済まない。

とにかくやらないと「悪いことが起きる気がする」。

その、“気がする”がどうしようもなく怖くて、4回を8回繰り返す3回を12回繰り返す…気が済むまでひたすら繰り返す毎日。

特にコロナ禍の時期は最悪でした。除菌シートが手に入らない。手を何度も洗って、アルコールを常に持ち歩いて、それでも安心できなくて自分でも「やりすぎ」分かっているのに止められなかった。

でも最近そんな私も少しずつ変わってきました🌸

「大丈夫、何も起こらない」を納得がいく数字だけ頭の中で唱える。(例えば、何度手を洗っても納得がいかない時は4回「大丈夫」と自分の中で唱えて、よし終わり!と手を洗うことをやめる)

それと私は究極の面倒くさがりなので、急に“めんどくせー!”となる瞬間があるようになって(笑)そういう時はやらなくても意外と大丈夫だったりして、ほんの少しだけ完璧にやらないと悪いことが起こると思っていた学生時代よりは、自分を緩められるようになりました。

今でも症状はあります。でも「それが私の日常」として生きてる感じです。昔みたいに「つらい、しんどい」って思うよりも、「今日も生きてる、まあいっか」って思える日を増やしたい。

強迫性障害って他の人からは見えずらい。でも、自分の中ではずっと戦い続けてる。

最後に🌸

私は、一番しんどい時誰にも相談できなかった。でもこうして、“あの頃の自分”より少しは楽に生きられてる。無理に「治す」よりも「共に生きていく」って感覚を持つ。それが何年も強迫性障害と生きてきた私なりの今の答えです。これを読んでくれた誰かの気持ちが少しでも前向きになってくれたらうれしいです。

読んでいただきありがとうございました😊

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